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会長挨拶・コラム COLUMN

平成24年2月:モノと便利さ考

第12代会長 藤井 亮輔 先生

まだ貧しかった頃の澄んだ学校の空気を何十年かぶりに味わった。昨年暮れの26日、ウランバートル市にある「モンゴル盲人協会職業訓練センター」を視察で訪れた時のことである。

2011年9月15日、足かけ4年に及んだAMIN(Asia Medical Massage Instructors Network)の支援が実を結び、協会内にマッサージ学校が開校した。メインの医療マッサージコースは1年課程で生徒数は10名。半年間のリラクゼーションマッサージとIT・英語のコースを合わせて28人がモンゴル全土から集い、寝起きを共にしながら学ぶ。1700kmの道のりをバスでやってきた生徒もいた。校舎は、理教連の副会長を努められた竹内昌彦先生(元岡山盲学校教頭)から講演料や自著の売り上げの一部をいただき、完成にこぎ着けた。 医療マッサージコースの授業は、昼休みを挟んで朝9時から夕方4時までの6時間。AMINが作成した1000時間のカリキュラムをこなす。この日の第1限は経穴の主治を学ぶ授業。骨格交連模型が一体あるほかは机と椅子だけの静まった教室に、ガンゾリグ校長(熊本盲理療科卒)の講話を書き取る点字の音が途切れることなく響く。弱視生のノートも書き取った文字でびっしり埋まっている。「自分の作った教科書で叩き込むのが一番ですよ」とガンゾリグ氏。テキストがないことを意に介さない。

2限目はモンゴル医療科学大学のチョロン教授による解剖学の復習。持参した人骨標本を手に、「顔面の骨の種類は?」「胸骨の区分は?」「脊柱の下の骨が大きい理由は?」「恥骨結合が柔らかいのはなぜ?」とテンポ良く発問する。間髪を入れず生徒全員が大声で唱和するように答える。内容も到達度もレベルが高い。頭の中に「自分の教科書」がしっかりとできつつあるのだろう。

国で唯一の視覚障害者の職業学校なのに、図書館もなければ、教科書も音声教材も拡大読書機もパソコンもない。教員も模型も足りない。なのに不満げな顔は一つもない。「ないこと」が当たり前なのだろう。あるものと言えば、教師の教える熱意と生徒の学ぶ熱意だけ、といえば言い過ぎだろうか。だが、熱意がとにかく溢れるほどあるのだ。教師と生徒、2種類の熱意が溶け合った空気を胸いっぱいに吸った生徒らは、学校を巣立った後も、きっと力強く生き抜いていくことだろう。

一方、「あること」が「当たり前」の分厚い空気に覆われた東の島国、日本。豊かな経済に後押しされて、子どもの「おねだり」に家庭も学校も親も教師もずいぶん寛容になってしまった。「足るを知る」の気質が失せてしまったように思う。モンゴルでの非日常、「あること」が「当たり前」の空気を存分に吸って育つ子らの行く末が心配になる。

『奇跡のリンゴ』(幻冬舎)で読んだ話が、「ないこと」が当たり前のなかで熱心に学ぶモンゴルの学生たちの姿と重なった。不可能とされていた無農薬リンゴの栽培に挑んだ木村秋則氏の苦闘の記録。木村氏のリンゴ畑は20年ほど前の「リンゴ台風」の時に被害を免れた。雑草や「害虫」と共生する環境で育ったことが、養分を欲する根っこを土中に深く広く張らせたのだ。

特別支援教育にも通ずるところはないか。一人ひとりのニーズに応える「合理的配慮」は当然としても、何のための支援かを考えながら手をさしのべないと、生きる力を吸い上げる根っこを細く短くしてしまいかねない。「配慮」のさじ加減は「均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」と障害者の権利条約にあるが、まさしくそのとおり、それくらいがちょうどいい。 モンゴルへのプレゼントに持参した筋肉模型をめぐって、こんなやりとりがあった。「情報を音声コードにしたシールを筋に貼ってボイスペンで読ませると自学自習に役立ちます。後で送りましょう」と視察団団長の形井秀一教授。「覚えさせればいいことですから」と、やんわりかわすガンゾリグ校長。モノや便利さが「生徒のため」と同義でないことを教わった。

翌朝早くにホテルを出た。マイナス30度近い冷気と、むせぶような臭気が鼻粘膜を刺す。豊かさの象徴とされる、自動車と石炭ストーブの排ガスが入り混じった臭いだそうだ。いつか日本がたどった道を、この国の人々も歩き始めている。学校の空気の清新さと、「豊かな」現代文明がもたらす業に思いを馳せながら、チンギスハーン空港を後にした。