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会長挨拶・コラム COLUMN

平成25年10月:組織改革について――何を、なぜ、何が――

第12代会長 藤井 亮輔 先生

富士の五合目に立った時のような、という形容がピッタリかも知れません。先の総会で認めていただいた組織改革の話です。山頂を仰いで靴紐を締め直した時の、あの気分。ある種の感慨はありましたが、半分を踏破したという到達感とはちがう気分です。

私が理療科教員養成施設の学生だった頃、富士登山が体育の授業でした。登山口の五合目まではバスが運んでくれるのですが、八合目からの岩場が難所で、アタックには大いに難渋したものです。

この経験に重ねれば、「組織改革等在り方懇談会」の立ち上げに始まったこの2年は、いわば五合目までのバスの道。総会での承認は登山口に立つための手形のようなものでしょうか。「承認」と書きましたが、正確には、提案に是の学校が保留をわずかに上回った、というべきかも知れません。

いずれにせよ、総会では短兵急との批判を頂戴しました。地方負担への懸念も出されました。何を変えるのか、なぜ変えなければならないのか、その先に何が生まれるのか。そうした疑問・不安に丁寧だったかと問われれば、不十分さを謝するしかありません。

ただ、皮肉なことに、丁寧に向き合いたくてもままならない、今のシステムを改めようというのが、目指す改革の眼目なのです。地方と中央の風通しをよくするための仕組みを、次の総会前には提案できると思いますので、談論風発を期待したいものです。

とはいえ、建設的な談論を興すには、「何を、なぜ、何が」の理解を会員間で共有しておくことが大切です。全国理事の先生方のお力も拝借しながら、いろいろな機会を通じて、説明責任を果たしていく。これが現執行部の当面の仕事と認識しています。

この紙面にも「説明」に一役買ってもらいますが、その前に、組織改革の夜話を紹介し、本題の枕にしたいと思います。

端緒は、会長校を八王子盲から養成施設に戻した1991年に見ることができます。当時、事務局は会長校に置く決まりでした。が、会長候補だった長尾栄一先生の養成施設ではその任が困難で、附属盲に事務局を置けるよう、今の規約に改めたのです。この一件は、理教連をリードしてきた雑司ヶ谷分校が養成施設、附属盲、筑波技短に解体したことの意味するものと、理教連中央の組織力の弱体ぶりを、はからずも印象づける出来事でした。

その後、中央の求心力回復を意図した会長選挙制度改革が有宗義輝会長の下で行われました。会長を直接投票で選ぶ今の制度です。この改革は、会員の帰属意識を高めるには奏功したものの、組織力を促す力にはなり得かったように思います。中央と地方の車輪が一緒に回る仕組みを思案するようになるのは、この頃です。

2001年、就任間もない神崎好喜会長に地方支部制導入の効能と必要性を語ったことがありましたが、そうした思案の産物でした。あいにく、1期で政権が幕になりましたので、この構想はお蔵入りになりますが、後を継いだ緒方執行部でも「機構改革」の議論が続いたのでした。

改革の足跡を辿ってみましたが、その道が20年以上も前から延びていたことに、何か粛然としたものを感じます。五合目の「感慨」は、その感傷ゆえかも知れません。

枕が長くなりました。本題に入ります。

まず、「何を変えるのか」です。端的に言えば、規約にあるブロックに「実体」を与えること。そのための規約変更のポイントは二つ、①各ブロックに長(代表者)を置く、②「全国理事」を「代議員」(意見集約機能)に改める、の2点です。この改革により、会長-ブロック長間にはホットラインが、ブロック長-代議員-各校間には広域情報網が整備されることを期待したいのです。

これに伴い、理事会が一本化され、予算・決算案の審議・決定過程は次のようなボトムアップ型に改まります。

「理事会」?「学校」?「ブロック研究協議会(仮称)」(学校代表者で構成)?「代議員総会」(ブロック長と代議員で構成)

今の「総会」はなくなりますが、重要事項は全会員が意志表明できる「国民投票的」な新しい仕組みを設けようと考えています。一方、ブロックの区割りは、校長先生方との協力関係をより密にするため、全国盲学校長会の区割りに準じて再編します。これが「何を」の骨子です。ここまでの作業を、2年を「メド」に進めさせていただきたいのです。

次に、「なぜ」について。煎じ詰めれば、地方力を強化するためです。国試の対応や進路の確保に先生方の負担が増す中、学校が直面する課題も多様化しつつ増える傾向にあります。背景には、国の統治システムが地方分権型に様変わりしたことが大きな要因としてあげられます。種々の課題に孤軍奮闘を余儀なくされる学校の姿を目の当たりにしながら、手をこまねかざるを得ない中央の非力さに、ほぞを噛むこと、しばしばです。

国際標準化された経穴人形を例に説明しましょう。昔なら、中央レベルの折衝で整備を図ることが可能でした。学校が備えるべき公的メニュー(職業教育設備充実費)の財源(補助金)の紐を国が握っていたからです。しかし分権後は、メニュー自体が廃止されたこと、購入計画が都道府県の裁量に委ねられるようになったことで、中央の俎上に経穴人形を載せることはできなくなったのです。

この類の話は、日常的な教育課題を中心に枚挙にいとまがありません。教育委員会と一理療科の間の関係に陥りやすいこの種の課題には、「孤立させない」との連帯感の下、域内の連携体制を整えることが重要で、地方力が求められるゆえんです。

この話を引き合いに、「何が生まれるのか」について私見を述べます。いろいろな期待が頭をよぎりますが、紙幅の都合で一つだけ。それは、一体感・連帯感ではないでしょうか。ブロック化によって、この空気が醸成されれば理教連の基盤は揺るぎないものになるはずです。

富士登山に話を戻せば、悔やまれる思い出が蘇ります。一人の女子学生が高山病で下山を余儀なくされたことです。これから始まる「組織改革」の登山。「まず登頂ありき」を戒める警鐘としたいものです。2年で登れなくても「メド」が立てばいいのですから。