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会長挨拶・コラム COLUMN

平成26年10月:1円玉とあん摩師等法19条「その他」の重み ―

第12代会長 藤井 亮輔 先生

近ごろ、手持ちの財布にちょっとした異変が起きている。二つ折りがままならないほどに膨らむことが度々なのだ。むろん、札入れの方ではない。「主犯」は1円玉で、消費税アップの余波らしい。

このアルミ銭は消費税との因縁が深い。「1円玉の旅ガラス♪」が流行ったのは消費税導入年の1989年。今回も他の硬貨を尻目に一躍脚光を浴びて5年ぶりの製造再開となった。しばらくは1年に億枚単位の新銭が市中に出回ると聞く。「異変」はまだ続きそうだ。

1円玉は1枚造るのに3円のコストがかかるという。この採算割れの貨幣に財務省がこうも躍起になるのはなぜか。それは、この小さなアルミにひそむ大きな存在感ゆえだろう。売り手と買い手の釣り合いを取る「釣り銭」の主役としての存在感である。この貨幣が不足した社会を想像してみる。

まず思い浮かぶのは、1円玉が底をついたコンビニのレジ。釣り銭をアメ玉で払おうとする店員と「玉は玉でも…」と渋る客の押し問答。お釣りを払わないと不当利得や横領罪に問われかねないから、店も引くに引けない。かくして、アメ玉騒動は蔓延し1円に泣く人が増える。

「エンの切れ目」で人間関係がギクシャクし、摩擦と不満の多発社会へ。この空気は暗雲となって格差や貧困に苦しむ若者を吸い寄せながら日本を覆う。そして、金融市場では1円玉にプレミアムがついて…。あながち、バーチャルな話でもないと思うのだが。

いずれにせよ、社会・経済の秩序を保つ要石、と言えば大仰かも知れないが、お役人はこの石の放つ魔性めいた光に畏れを抱き、税率の変わり目になると蛇口を開け閉めして需給量を調整する。按配を誤れば混乱をまねくから、その加減は綿密な調査のもとに決められる。

金融界では当たり前の話だろうが、昨今、規制緩和で需給バランスを崩す市場が珍しくなくなった。鍼灸界と柔道整復界はその典型といっていい。需給見通しを度外視した大量養成に歯止めがかからないのだ。蛇口が壊れた市場は廃るのが常。鍼灸の受療率低下が気にかかる。

この流れは、柔整学校の新設を認めてこなかった厚生省(当時)が98年に福岡地裁で敗訴した後にできた。それまで柔整師の養成校は14、総定員は1050人。71年から行政指導のもとで据え置かれていた。柔整師法に書かれていない定員の調整権をなぜ厚生省が行使できたのか。それは、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第19条の拡大解釈が慣行になっていたからだ。

法19条は視覚障害者の業を護るため晴眼あん摩師の学校を認めないことができるとした条項。64年に公布された。この「本丸」の大手門(厚労省)に長崎の専門学校が開門を求めて座り込む構えを見せている。国は法に則り、医道審議会に、晴眼あん摩師の数と「その他の事情を勘案」した検討を諮問した。

「その他…」。条文の文脈では「晴眼あん摩師の数」(内堀)を囲む「外堀」の形をとっている。当時の為政者は、この文言に何を託したのだろう。19条が提案された国会(昭和39年6月10日)の議事録を見てみたが、関連の説明も質疑も確認できなかった。そこで、想像を巡らせてみる。

「その他」で勘案する事情には、視障者の生活水準の他、無免許あん摩業者や医業類似行為(整体・カイロなど)の影響を含んでいたことは、当時の社会情勢から想像に難くない。さらに、鍼灸師と柔整師の数も「その他」に寄せて規制できると踏んだ。理由は二つ。

一つは、視障者の業が鍼灸師・柔整師の業と重なる現実があったこと。視障あん摩師の多くが鍼灸師免許を併せ持つ三療師である現実と柔整師の扱う患者があん摩師のそれと競合する現実である。だから、あん摩師だけを抑えても鍼灸師・柔整師が増えれば19条は骨抜きになる、というロジックを立てた。

もう一つは医療政策上の要請。医療の向上を進める上で、あん摩師学校が無制限に増えることは教育と業の質を保つ上で好ましくない。この要請を鍼・柔の学校にも課すことは公益にかなう。もとより、鍼灸師と柔整師はあん摩師と「同腹の3兄弟」。だから、要請の網を被せても大義名分は立つ。当時、法律名は「あん摩師、はり師、きゅう師および柔道整復師法」だったのだ。

こうした拡大解釈路線は70年に柔整師法が独立した後も伝統として続く。この伝統は、19条を難攻不落の「生きた法」にするための落としどころとして、不可侵的な暗黙の了解事項になっていたふしがある。

ところが、福岡地裁は柔整学校の指定に関する厚生省の裁量権を違法と断じた。「外堀」の要衝が埋められた瞬間だ。敗訴を受けて国は、同様の立ち位置にあった鍼灸学校も含め、法的な条件を満たす申請はすべて認める自由化路線に転じた。こうして、ブレーキなき大量養成が始まる。

この15年足らずで、柔整師・鍼灸師の養成校はともに100校を超えた。就業柔整師は2倍の6万人、就業鍼灸師も1.5倍の10万1000人に膨らんだ。あん摩の市場には毎年5000人を超える新卒柔整師が流れ込むようになった。

手元に、今年4月に行った全国施術所調査の結果がある。年収(中央値)をみると、晴眼業者の400万円に対し視障業者は180万円、100万円未満層は3割を占めた。過去と比べると明らかに悪化している。

背景に、「大量養成」の影響があることは確かだろう。だから、柔整師等による不正なあん摩行為に毅然と対応することは必要だ。といって、守り一辺倒の籠城だけで事足りる状況でもない。「大手門」には多様な勢力が続々集まる構えを見せているからだ。

ここは業・学を挙げて、打って出る気概を示すことが肝要。卒後研修の充実、あん摩のエビデンス構築、職域開拓…。やるべきことは山ほどある。その中で、理療教育の一番の使命は臨床力を備えた存在感ある人材の輩出だろう。

1円玉の場合、存在感は釣り銭の価値だけではなさそうだ。直径2センチのコインは5万分の1の地図上で1キロの距離を測るのに重宝される。重さ1グラムだから天秤棒1本で塩やもぐさを量ることもできる。「その他」のプラスαが存在感を絶妙に引き立てているのだ。

法19条が揺らぐ時代、教え子たちも免許だけでは心もとなかろう。「その他」の力をどう涵養するか、理療教育の真価が問われている。旅ガラスの爪の垢でも煎じてみるか。