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会長挨拶・コラム COLUMN

平成27年1月:正月に想う―理療教育の存亡この1年にかかる―

第12代会長 藤井 亮輔 先生

明けて新春。まっさらな1年が始まった。賀状書きと大掃除に追われた喧騒から数時間寝ただけで淑気に包まれているのだから、正月はありがたい。顔を洗う手水も新しい。まっさらなシャツに腕をとおし、まっさらな気分で「忘憂」(お屠蘇)をいただく。飲みなれた味なのにきりりと締まって感じるのが不思議だ。紙面のトップに目をやると、アラブの混迷を報じている。思えば、敗戦から今年で70年。これほど長く平和が続いた国はあっただろうか。憲法9条を頂く国に生まれた有難さを改めて噛みしめる。

年賀状に目を通す楽しみも平和あってこそ。退職した旧友からの「ゆっくりもいいですよ」に心惹かれ、「今年も頑張りましょう?」の誘いに血が騒ぐ。子規だったか、「正月やまた始まりぬ何やかや」。365日、8760時間、「何やかや」を終えた年の瀬が楽しみだ。まっさらだったカレンダーがどんなモザイクに仕上がるか。あれこれ想像を巡らす年の初めも悪くない。

そういえば、「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」は元日が誕生日だった。昭和23年1月1日。この日に鍼按関係者の胸に去来したものに想いを馳せてみる。悲願成就の高揚感、新時代を拓く決意、希望、そして使命感……。

その交ごもの思いは、戦後の焦土に「理療教育制度」という、世界に誇れる文化の灯をともす。高度経済成長や医学教育の高度化とも相まって、その恩恵は燎原の火のように広がり理療の業と教育の発展を後押しした。そして今、私たちは、教育課程・教科書・教員・国家試験などなど、理療教育を下支えしている様々な制度が「あって当たり前」に思える時代の真ん中にいる。心底、恵まれた世の中になったものだと思う。

とはいえ、戦後に形づくられた制度の骨組みが地盤ごと、二つの潮流に洗われ始めているのも事実だ。一つは、理療教育を「初等中等教育」につなぎ止めるベクトルを持った特別支援教育の流れ。もう一つは、理療教育を「高等教育」の側に押し上げようとする逆向きの流れである。

そもそも、国家試験のハードルを卒業時に課す理療教育は、生活や学習上の困難改善を図る場としての全入を原則とする特別支援制度と相容れないところがある。その点で、この制度にとって理療教育は、免疫学でいうところの「異種タンパク」のようなものだろう。

生物学の世界で言えば、体内に入った異種タンパクは分解されて同化されるか異物として排除されるかの末路をたどる。が、理療への依存度が高まる視覚特別支援の世界では後者の選択肢はあり得ない。いきおい、「同化」の圧力は強まり、理療教育は「適応」の道を歩まざるをえなくなって、「数年も経てば……嘆く盲学校をあちこちで見聞きすることになっていないか」。

3年前の月刊『視覚障害』(第285号)に寄せた拙稿の一片だが、理療科の入試を廃止したり現級留め置きを認めない学校が広がる現実を見るにつけ、この心配が杞憂でなかったことを実感する。「過ぎた適応は理療教育の輪郭を崩してしまう」とも警鐘を鳴らしたつもりだが、といって、起死回生の妙案があったわけではない。この空気、問題の性質は違うが、「マッカーサー旋風」が盲界を吹き荒れた戦後の空気にどこか似ていないか。「底割れの危機」という点においてである。

マッカーサー旋風。盲人が医療に携わることや東洋療法自体を疑問視したGHQ(連合国軍総司令部)が、昭和22年9月23日に国に示した按摩・鍼灸禁止令。ヘレン・ケラーの助力もあって撤回されるが、その辺りの話は別の稿にゆずりたい。

それはさておき、特別支援教育の影響が濃く漂い始めたさなかの昨年秋、理療教育界に朗報がもたらされた。中教審の大学教育部会が、高等学校専攻科から大学への編入学を可能とすべきとする画期的内容を含んだ提言書をまとめたのだ。理教連の重点施策でもあったし、昭和60年初頭に打ち出した「専門部構想」の実現に道を開くものでもあったから、連盟として提言の早期実現を求める意見表明を行った。

専門部構想とは、就学奨励費を受けられる盲学校の利点と、大学との単位互換ができる専門学校の利点を併せ持つ理療科の将来像。成田執行部が打ち上げたが「現実性に乏しい」との理由で撤回。10年ほど経って有宗執行部が蔵から引っ張り出した。この「いいとこ取り」の構想に、当時、駆け出しだった法制部長は、「デコレーションケーキに飾りつけを重ねるようなビジョン」と言い放って、反論の陣を張ったものだ。

あれから18年、規制緩和の流れが山を動かした感がある。今の情勢からすると理療教育界の悲願は叶う公算が大きい。先見の明を持って、「専門部」を再検討するもよし、高等教育構想を話し合うブロックが出てきてもいい。

ところで、今年は憲法論議もかまびすしくなりそうだ。その参考にと、のぞいた96条に続く条文に背筋をピンと伸ばされた。憲法第97条。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は……現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と記されている。

そう、未来の視覚障害者が理療教育を受ける人権を、行政の一存や私たちの怠慢で侵すことは許されないのだ。「受けた時よりも、もっといい制度にして次世代に返してあげなさい」と、語りかけてくれてもいるようだ。その義務を果たせるかどうか。正念場の年になる。

70年前に話を戻す。敗戦の気配漂う昭和20年の元日、医学生だった山田風太郎は日記にこう書いた。「運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる」と。朝刊のコラムに知った。時代や次元や悲壮感はまったく違うが、心揺さぶられる響きがある。今の好機を逃したら……。そんな底割れの危機漂う空気のせいだろうか。

「存亡この一年にかかる」。GHQの圧力を跳ね返した先人の奮闘に感謝しつつ、まっさらな年の初めの計としたい。